今季地元ミネソタを離れメンフィスへFA移籍したタイアス=ジョーンズ。
安定した控えPGとしてモラントのバックアップ、また試合の大事な時間を任せられる堅実な活躍が期待されている。

カレッジやMIN時代のプレーをそこまで知っているわけではないが、彼の評価として最もよく聞くのは安定感、堅実という言葉。
そんなタイアス=ジョーンズの安定した活躍と対照的に彼が経験した大きなアップダウンについての記事。
まだタイアスについて多くを知らないMEMファンにとっては彼のパーソナリティを知ることができるだろう。


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タイアス=ジョーンズは自分の人生の中で、バスケットボールに関するあらゆることを思い出していた。
彼はバスケットボール一家の中で育ち、なるべくして成長した。
彼の母デビーは1981年にノースダコタ州のチャンピオンになったDebils Luka High SchoolのPGであった。
彼の兄ジャディーもミネソタで一緒にプレーしたし、彼の弟のトレもミネソタの高校で二度州のタイトルを獲得した。
ジョーンズ自身もドラフトされる前の一年間デューク大学でナショナルチャンピオンに輝き素晴らしい栄光を手にした。
ジョーンズにとってゲームこそが彼の頭の中にある全てであり、彼が夢見る全てであった。

ある一本の携帯電話が鳴るまでは。

ジョーンズが自宅にいたとき、彼は母親からFaceTimeで連絡を受けた。
「少し話をしたいんだけど大丈夫?」と聞かれたことを今も覚えている。

彼女は右胸に腫瘍が見つかり、様々な検査を受けたことを明かした。
そして2019年1月14日、診断の結果は乳がんであった。

「心臓が止まる思いだった。がんという言葉はとても重みのある言葉で心が沈むのを抑えられなかった。母は自分の全てなんだ。乳がんという言葉は全く望んだ言葉ではなかった。」

ジョーンズの言葉は震えてはいたが彼の信念は揺らいではいなかった。
ジョーンズが初めてプロバスケット選手になりたいという願望を持った時、その目標が決して巨大なものでも実現不可能なものでもないと言ったのは母だった。
彼の母は人生の中でも最大の闘いに直面していたが、ジョーンズは「乗り越えられる」ということを今度は自身が母に伝えることが自らの責任だと感じていた。

彼の20数年の人生の中で初めてバスケットボールのことを後回しにしてまでも。

「母がいなければ今の僕はいない。これは目覚めの電話であり、視点の変化だった。
今は母がファーストであり、家族こそが自分の向き合う唯一のものだった。」
とジョーンズは振り返る。

診断の後デビーは化学療法を開始し、早期の結果はまずまずであり彼女も明るく前向きであった。
吐き気に伴う発作などはあるが治療にも応じ健康を保っていた。

しかし、闘いはジョーンズの個人的な挑戦とも無関係ではなかった。
その頃のウルブズはHCティボドーの解雇やジミー=バトラーのトレード要求などカオスなシーズンを送っていた。
そんな状況で足首の怪我で13試合を欠場し、復帰後は9試合で3P%は18%という状態だった。

何かが正しくないとデビーは感じていた。
最初ジョーンズが試合に集中できるようにという思いから彼女は自らの状態をオープンにしないようにしていたが、それがかえって息子の息詰まりとなっていることに気づいた。

「それは僕らにとってとても重いものだったから。母親ががんだと診断されれば毎日ずっと考え込んでしまうものだよ。
だから母はその重さを軽減しようとその問題に焦点を当てないようにと決めていたんだと思う。」


しかし、デビーはその必要がないことに気づいた。
がんであるということは何ら罪悪感を感じることではないと。
闘病生活の中で他の人たちを元気づけられるということを息子達に気づかされた。

母の承認も得てジョーンズと彼の兄弟は3月7日にインスタグラムで母の闘病についてアナウンスした。
反応は大きかった。

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4月7日のOKC戦でウルブズはジョーンズの母を支援するために、正面と背中にピンクのレタリングとピンクのリボンがデザインされた白いTシャツを着用することを決定した。
チームメイトのタウンズがシューズアーティストに掛け合いその試合で着用する選手たちのシューズをカスタムし、そのシャツとシューズは乳がん啓発に使われる資金のためオークションに出された。
その試合ではピンクの花をテーブルに置いたスイートシートがジョーンズの家族にプレゼントされた。

「母が受けた愛や激励、サポートの大きさはとてつもないものだった。
チームメイトもコーチ達も友人たちも全員が母のために祈り、それは私にとっても愛することを続ける上でとても大きなことだった。」
とジョーンズは語る。

そしてデビーにとっても闘病の中で前に進んでいく大きな助けになった。
彼女は自分のための愛ある行為やジェスチャーのおかげで化学療法の次のステージへと進んでいくことができた。
5週間に渡る放射線治療に耐え、毎日笑顔で起き上がることもできた。

「母はスーパーウーマンで、私の知る限り最もタフで強い人間だ。
彼女のことを知っている人なら皆彼女が何物にも負けず乗り越えていける人だと知っている。」

9か月にわたるがん治療を得て10月5日、治療の最終チェックの結果はクリアだった。
彼女の闘いは終わり、彼女はがんを克服したのだ。

彼女のがんとの闘いは終わったが、自分たち家族が経験したことは決して忘れられないことだとジョーンズは感じている。
彼は10月にアメリカがん協会と協力しがん啓発キャンペーンを推進するなど他の人にもがんについて伝えていくことを続けている。
また、基金を立ち上げてがんの研究にもサポートを行っている。
コート内だけでなくコート外にも広い世界があることを知っているからこそ彼は行動する。
チームを超えた宝のため、バスケットボールを超えた人生のために。


ジョーンズは語る。
「母の闘病によって物事の見方が大きく変わった。予期せぬクレイジーな出来事だけど、人生の中にはスポーツよりもはるかに大きな物事があると教えられた。
家族もその中の一つ。それらはとても素晴らしく、本当に大事なことなんだ。」
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昨季はコート内外で困難に直面したタイアス=ジョーンズ。
それらを乗り越え一回り成長し新天地メンフィスへやってきたタイアスの活躍がメンフィスの未来を明るく照らすことを願っている。